短命に終わる… 50系客車(レッドトレイン) PART1
50系客車が全廃されてから幾年が経ちました。走っている当時は、北は北海道から南は九州まで、日本全国何処でも見る事ができた客車でした。しかし、非効率な客車は淘汰されると呆気ないもので、真新しい50系客車は短命と言わざるをえません。
今回は短命で寂しいという言葉が似合う50系客車を紹介していきたいと思います。
50系の開発にあたってですが、これは言うまでもなくその当時に使用されていた旧型客車の老朽置換えが念頭に入っておりました。
これまでの旧型客車は乗降扉も自動化されておらず、走行中に扉が開いてしまうなんて日常茶飯事でした。こうして50系客車の扉は自動扉が導入され、これまでの国鉄の旧型客車からは考えられない画期的な出来事でした。しかし、悲しい事に既に当時から電車化が進んでおり、登場してからの活躍の機関はあまりにも短かったのです。
自動化された50系客車の乗降扉ですが、通学通勤時におけるダイヤ確保のため、扉の幅にも留意しました。急行型電車である165系455系などの実績も踏まえ、出入りできる乗降扉は1mの大きな幅を確保して製造されました。

こうした実績があったのに、583系を改造して誕生した419系などは、なぜ扉の幅を1mにしなかったのでしょうね。
左の写真は磐越西線の会津若松駅で撮影しました。この当時の磐越西線の普通列車は、気動車の他に50系客車も使用されており、気動車と客車の半々という感じでした。編成数も奥羽本線の2両ではなく、4両や6両とそれなりの形にはなっておりました。
話しを再び戻しましょう。もともと客車というのは、フレキシブルに車両を増減する事ができ、その日その日の乗車人数を考えて編成数を増やす事も容易でした。また客車と言う自由性を活かし、電化・非電化路線を問わず使用できるというのも、機関車の効率を増す事ができ、当時は良しとされておりました。しかし鉄道の合理化が一気に進むと、終端駅での機関車の機回しなどが敬遠される事になります。
この写真では少し分かり難いですが、窓はユニットサッシになってます。ガラス窓の四方にラインが入っているのですが、四角い穴が開いた所に決められたサッシを組み込んでました。これは他の車両と同じ寸法だったので、どこで壊れても補修が容易であり、国鉄の全国標準も見事にクリアしました。
客車の運用で役に立つ事は色々とありはしました。例えば羽越本線ですが、交直セクションの絡みで、新潟からの電車は直流電車なので全て村上止まりでしたが、ここを交直流電気機関車の威力を発揮すべく、EF81型電気がデッドセクションを越えて新津まで50系客車を牽引しておりました。
50系の登場時に冷房付の車両はありませんでした。将来的に取り付けよう計画はあったようです。冷房機を取付けできるよう“冷房準備車”と呼ばれた施工がされたようです。
しかし、取り付けられたのは北海道の函館と本州の青森を結んでいた快速『海峡号』のみでした。この快速も東北新幹線が八戸に延伸した際に廃止されてしまいました。あっと全廃と言いましたが、2009年GWからJR九州のSLあおBOYが復活しており、その機関車に牽かれているのが50系客車でした。もしかしたらこれも冷房化されているかも。
客車なので当然自走する事は出来ません。走るには機関車に牽引して貰わないといけないからです。そう、引張って貰わないと客車は威力を発揮できないのです。こうした事が14系24系のブルートレインの引退を早めたのかもしれませんね。
50系客車の車内を最後に見てみましょう。冷房装置が全盛の今の時代から見ると、天井にズラリと扇風機が並んでいる様にかえって新鮮さを感じます。改めて見て今の車輌には無い懐かしさを感じえます。非冷房なので窓を全開にしても回りを気にする事もありませんでした。窓を全開にしても真夏の車内は蒸し暑かったですけどね。


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LAST UPDATE: 5/7 2009
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